歴史
history

慶應義塾体育会航空部の歴史は、昭和5年に設立された「航空研究会」の創立に始まる。昭和2年にリンドバーグがニューヨーク〜パリを33時間30分での横断に成功し、空への憧れがますます高くなる時期での創立であった。当初は飛ぶこと以外に、理論や設計、製作も大きな部の目的であり、文連の所属であった。部は発展していく一方で、日本は激動の時代を迎えている最中で、満州事変、太平洋戦争と戦争の時代に入っていった。あくまでも趣味で始められた「航空研究会」も戦争が始まるにつれて搭乗員養成と訓練へと変わっていく。実際、多くの先輩方が戦地に向かわれた。そして昭和20年、終戦を迎えた日本はGHQの指導のもと、一切の航空活動が禁止される。我が部はもちろん、日本の航空界において厳しい時代だったと言えるであろう。

航空禁止令が解除されたのは昭和26年のことである。これと同時に慶應の「航空研究会」は「慶應義塾航空クラブ」と名前を変えて、復活を果たした。その2年後、早稲田大学や法政大学と定期競技会を実施するに至る。

戦後の偉業として挙げられるのは、高性能機三田式Ⅰ型機の製作である。卒業生の集う"三田航空クラブ"が中心となり設計、製作が行われ、4年の歳月をかけて昭和31年に完成する。まさに卒業生、学生が一体となって、慶應においてグライダーの完全な復活を遂げたと言える。三田式Ⅰ型は後に、2900mの復座グライダー獲得高度記録へ貢献することとなる。昭和44年には正式に体育会に加盟し、名称も現在の慶應義塾体育会航空部となった。使用機体はドイツ、チェコスロバキアなどグライダー先進国から積極的に導入し、現在使用しているアレキサンダー社のASK21、ASK23など、時代ごとの新鋭機を使って効率的かつ内容の濃い訓練を重ねている。

創立から74年の経過した慶應義塾体育会航空部は、まさに「空の王者」と言えるまでに成長した。74年間に渡って、常に空に夢を抱いたOB・OGの方々が部に貢献され、それが伝統となって引き継がれている慶應義塾体育会航空部。近年では全日本学生グライダー選手権の8連覇という偉業も達成し、部員のさらなる技術の向上、部の発展に向かって日々訓練を行っている。


参考文献:『積雲』第15号 佐藤武元部長、松尾幹男先輩、大村鍠太郎先輩の投稿文より編集